2025.11.11

好奇心、発酵中。

片道2時間半の通勤時間も、早朝4時半に起床し家族の支度を整えることも、彼女にとって日常の一部だ。蔵では酒母や醪(もろみ)の仕込みと管理、製麹作業、さらにはフォークリフトを操って重油の運搬・充填といった力仕事まで、酒造りの全工程に携わる。四児の母でありながら蔵人として、伝統的な世界で既存の枠にとらわれない挑戦を続けるその原動力とは一体何なのだろうか。

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Summary
  1. 「ヤバイ子」が心奪われた、微生物の魅力
  2. 母なる蔵人のまなざし
  3. 「やりたいこと」を追い続ける
  4. 永遠の修行僧
  5. 音声はコチラ

「ヤバイ子」が心奪われた、微生物の魅力

音声で聞きたい方は【こちら

 

「私、小さい頃は本当にヤバイ子でした。」彼女はそう語りはにかんだ。

「男の子たちと傷だらけになりながら木登りをしたり、自転車を乗り回して防空壕を探しに行ったり、蟻地獄にアリを落として観察したり、アリの食べ比べをしたり。」

 

幼少期「ただの遊び」に見えるその一つ一つが、飽くなき好奇心を育む重要な“きっかけ”だったのかもしれない。土や木の実、昆虫といった生物の世界に触れる中で、目に見えない微生物の存在に心を奪われた。中学生の頃、周りは微生物の形状や動きに嫌悪感を示す中、生物のテストで100点を叩き出した。その時、『私はこれでいいんだ』と確信したという。

 

 

親戚がお酒を嗜む環境下で『お酒も微生物で造られる』という繋がりを見出し、発酵学への興味を深めていった。その探究心は、大学の醸造微生物環境科学研究室へと導いた。そこでは、微生物を利用した生命の神秘を解き明かす「小さな研究者」の日々だった。培った知識と、幼い頃から漠然と抱いていた「いつか技術者、職人になりたい」という夢。まだ女性が簡単に日本酒·焼酎蔵に入れる時代ではなかったため、卒業後は大手ビールメーカーの研究員として、生麦の醸造研究所で試験醸造と基礎研究に十数年携わった。

 

その後ライフスタイルの変化から一旦夢を諦め、トリプルワークなどをこなしながら様々な職種を経験。しかし、コロナ禍を機に改めて自分の人生を考え直す。もう一度、発酵に関わる仕事がしたいと。ビール造りの経験はあったものの、日本酒は未知の世界。それでもその奥深さに魅了され、この世界へ飛び込むことを決意。人生の20年間、長年胸に抱いてきた夢が、ここ吉川醸造(きっかわじょうぞう)でついに形になった。

 

母なる蔵人のまなざし

 

「女性でも働きやすい環境がまず第一でした。地元神奈川県で『ものづくり』に携われることへの想いも大きかったんです。『硬水を用いた超低精白ながら甘酸っぱく切れる山廃(やまはい※酒母づくりの方法)、新技法を駆使したそやし水での水酛(みずもと※酒母づくりの方法)、地元伊勢原市で栽培された古代米を使ったお酒』など、既存の枠にとらわれないチャレンジをしていることに惹かれました。その味や香りが、とても魅力的だったんです。」

 

吉川醸造はいわゆる『カメレオン蔵』と呼ばれるほど常識から逸脱した面白いことをしている。実際、「設計士の蔵元」など異色な経歴を持つ人が多く、外国籍のパートスタッフもいる珍しい蔵だ。

 

設計士であり、7代目蔵元意匠設計士、酒蔵会社をデザインする | シマダグループ

 

仕事は分業制を設けず、蔵人全員が酒造りの全工程を習得することを基本としている。その中でも、彼女が特に多くの時間を割くのが、酒母造りや醪の仕込み・管理だ。それは単なる作業ではない。

 

 

「酒母造りは、子供を想う母の気持ちで接しています。『今日は風邪をこじらせそうだな』と感じたら寸胴にマットを巻き、布を被せて守るように(笑)。酵母が元気過ぎて発酵熱を出し過ぎないように『クーラーの効いた部屋で休みなさい』と、品温をチェック。そして、立派に育った酒母には「いってらっしゃい」と、娘を嫁に出す母の気持ちで見送る。さらに醪の仕込みと管理になると、祖母の気持ちへと変化する。「娘が子育てを頑張っている姿、孫たちを見守り、時には手助けをする。そんな気持ちで向き合っています」と微笑む。

 

 

 

「やりたいこと」を追い続ける

早朝4時半から深夜まで、文字通り寸暇を惜しんで仕事と家事育児に奔走しているにもかかわらず、疲れた顔を見せることはない。やりたいことがありすぎるからだ。

 

鮨学校・釣り・市場へ仕入れ、鹿児島大学での焼酎の勉強会、子供たちの試合観戦やPTA活動と、休日は常に動き回っている。特に「お鮨の専門学校」に通い始めたきっかけはユニークだ。

 

 

「元々料理が好きで、釣りにもハマってしまったんです。でも、捌き方は独学では限界があり、専門の学校に入るのが一番早いと感じました。」まず和包丁の『しのぎ』の理解や魚の構造を知るところからスタート。魚のおろし方、ネタの切り付け方、シャリの握り方へと進んでいく。「シャリの量を右手の感覚で合わせるのですが、毎日お米を触っているので製麹作業に近しい部分もあり、これは得意でしたね」と、経験が活きている。

 

最近では、以下のような体験を通じて知見を広げているという。

 

● アメリカナマズを釣って駆除してハンバーガーにする会

● 海苔を摘み焼きのりにする会

● 漁師さんに釣れた魚の食べ方を教えてもらう会

● ワサビ農園のお手伝い

● お茶を摘みお茶を飲む会

● 養蜂

● 横浜菊花会

● キノコ狩り

● 七草を摘んで七草粥を食べる会

 

 

これらの活動は、単なる趣味に留まらない。理想は自身が造ったお酒と、自ら釣り捌いた魚、握った鮨、さらには摘んできた海苔やワサビ、そしてそれらに合うオリジナル醤油を醸し『マリアージュ』すること。

 

吉川醸造は元々お醤油も作っていた。だから『酒造』じゃなくて『醸造』。

蔵内に深みのある醤油木桶が残っている。

 

 

多忙な日々の中での家族との時間は何よりも大切にしている。子供たち一人ひとりとデートする事を心掛けているのだ。長男19歳、次男17歳、長女15歳、三男11歳。学校のこと、友人関係、流行っている音楽やテレビ番組、時には「恋バナ」まで。心ゆくまで語り合う時間は、仕事の原動力にもなっている。

 

「自分の夢を追うことで、子供たちと十分に接してあげられない申し訳なさもあります。でも、将来大きくなった時、『母はこんな想いで仕事や家事をこなしていたんだ』と気づいてくれる日が来ると嬉しいかなと。」

 

与えられた道をただ歩むだけでなく、自ら「やりたいこと」への門を開き、力強く道を切り拓いてきた。その姿勢そのものが、子供たちへの何よりのメッセージとなっているだろう。

永遠の修行僧

4人きょうだいの長女だったが『女だから愛嬌があって料理が出来れば、大学なんて行かなくていいよ』と言われていた。けれど彼女は諦めなかった。自力で学費を貯めて、逆算して農大に進んだのだ。自分から行動して、門を開かないと何も始まらない。

 

「生涯勉強だなと思っています。私は永遠の修行僧なんです。」

 

 

純粋に「日本酒造りの修行」という目的で蔵入りしたが、働く中で「いい時間(とき)をつくる」という言葉に触れ、深く共鳴していると語る。特に「24時間全部が仕事で全部が遊び」というグループの考え方は、自身の生き方そのものだ。

自然の中で遊んでいた好奇心旺盛な女の子は、大人になっても変わらず、

自ら「やりたいこと」への門を開き、新しい世界を切り開いている。

 

 

どの道を歩いて行こうと 君は君の その人生を 受け入れて楽しむほかない 最後には 笑えるように-

 

2万回は聞いたであろう、彼女のテーマソング、浜田省吾の『日はまた昇る』の一節だ。

彼女が醸し出すお酒は、その挑戦と愛情に満ちた生き方そのものが、深い味わいとして溶け込んでいる。これからも、その一杯が人々の心に、温かな余韻を残していくように。

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