2022.01.01

お米のDNA お米をめぐる物語

「※」(こめじるし)は、漢字の「米」を傾けた形に似ていることから、名付けられたそう。米穀店のマークとしても用いられています。そんな「※」とシマダグループの密な関係について、解き明かします。

シマ報 > お米のDNA お米をめぐる物語
Summary
  1. 米屋創業
  2. 次の時代に向けて
  3. 米麺専門店オープン
  4. 酒蔵事業開始

米屋創業

当時15歳の美空ひばりの「お祭りマンボ」が流行歌となり、月刊誌「少年」で手塚治虫の

「鉄腕アトム」が連載を開始した1952年。連合国軍による占領が終結したこの年、シマダグループの始まりである「有限会社島田精米店」は誕生しました。

 

戦後は米不足で、麦・馬鈴薯などが代用食料となり、お米は大変貴重なもの、「米穀通帳」がないと買えませんでした。配給日には、長蛇の列、何時間も並ぶ人々。

 

政府はお米の需給を管理しており、販売者には販売権利を取得する義務を課したのです。それには、特定数以上の地域住民による推薦状が必要で、「顔が広く地域の信用」がある人物でないと販売権利を得られませんでした。この権利を得た創業者。後に、これが事業を拡大するにあたり大きな影響を及ぼします。

次の時代に向けて

やがて国内の食料生産は回復に向かいます。

 

来るべき時代に向けて、何をするべきかと創業者は自問自答しました。

 

「食べ物の次は家だ。人々が心からくつろげ、豊かな暮らしが営める、価値ある住まいをつくろう」東京オリンピックを控え、日本中が活気に満ちた時代に不動産業を開始したのです。

 

その時代を読む目は確かで、土地は値上がりをはじめ、住宅ブームがやってきました。シマダハウスは「地域の信用」を元に企業として大きく成長をしていきます。

米麺専門店オープン

そして、島田精米店創業から約50年後の2001年。シマダハウスはベトナムの代表的な食べ物である米粉と水が原料の米麺フォーの専門店「COMPHO」を虎ノ門にオープンします。

 

なぜ不動産会社がお米麺専門店をオープンしたのでしょうか。それは、シマダグループに貫かれたお米由縁。

 

米屋から始まり「食」の次は「住」だと考え、発展してきました。

 

時は流れ、再度「食」に立ち返ろうとしたとき、経営者の頭をよぎったのは、ルーツである「お米」でした。ラーメンやうどんではなく、「お米」の麺であるフォーを日本の食卓に届けたい、と思ったのです。多くの世代に米麺を食べてもらい、新しい日本の食文化にしたい。そんな「お米に対する想い」が「COMPHO」というカタチになりました。

 

酒蔵事業開始

その約20年後、様々なご縁が重なり、シマダグループは「吉川醸造」を仲間迎え、酒蔵事業を開始することになりました。「日本酒」と「お米」、切っても切れない関係です。

 

大正元年に創業した蔵元である「吉川醸造」、シマダグループのルーツである「米屋」、共に古い伝統と信用を大切にしながら新しいモノを作っています。

 

不動産会社としても日本酒は非常に馴染みがあるもの。家を建てる前には、必ず神主さんを呼び、建築工事の安全を願う「地鎮祭」という儀式を行います。この儀式では、お神酒という神様にお供えするお酒を用意するのです。酒蔵事業を開始するきっかけは、きっとそんな風に繋がりや物語を大切にしてきたご縁からかもしれません。

 

 

一見、なんの脈略もない米と不動産とフォーと酒蔵。

 

しかし、そこにはお米のDNAが、今も脈々と私たちに事業に色濃く根付いているのです。

 

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現シマダグループ代表の名は島田成年。

 

「成年」は米屋という商売にかけて(毎『年』豊作に『成』るように)という意味が込められているそうです。

お米を巡る物語はこれからも続いていきます。

 

 

Written by
佐藤昌基
Masaki Satou
総務部長・経理担当・ライター。特技は結婚式の司会です。 座右の銘:歳をとってやっちゃいけないことは「説教」と「自慢話」と「昔話」(高田純次)
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