温泉のコト
日本人は、なぜこんなに温泉が好きなのでしょう。
温泉に行く習慣の始まりは奈良時代。 当時は貴族の療養や祈りの場でした。
それが江戸時代になると庶民へ解放され、 各地の名湯を格付けした「温泉番付」が登場。
温泉は一大エンタメへと進化します。
「諸国温泉効能鑑」 出典=東京大学総合図書館 < P10>
ここで生まれたのが、湯治(とうじ)。
湯治とは、 温泉地に1〜4週間ほど滞在し、自然の力で病や心身の疲れを癒やす“湯の療養”。今の感覚で言えば、 スマホは見ない・予定は未定・成果はとくに求めない、かなり尖った旅のスタイルです。
やることはシンプル!
湯に浸かる。
ちゃんと食べる。
ちゃんと寝る。
箱根つたや旅館の底倉温泉は、まさにこの湯治向きなんです。
ありがとう!蔦屋平左衛門さん!
まずは、深く一礼させてください。
ありがとう、蔦屋平左衛門さん!
これはもう、温泉ファン代表としての正式なご挨拶です。
ああ、ついてこれてないみなさまごめんなさい!
底倉の湯が湧き出ているこの旅館の創業は江戸時代。
蔦屋平左衛門(へいざえもん)さんが、箱根の地で「蔦屋旅館」という宿を始めました。
歌川広重の浮世絵にも登場する
「底倉-箱根七湯図会」広重,佐野喜 嘉永5(1852)
出典=国立国会図書館デジタルコレクション
創業後、当時は明かりに本当の火を使用していたことで、
火事となり全焼してまた建物を新築するなど、改修を繰り返して今に至ります。
数々の当主を経て、私たちで十代目。これ、簡単に言ってますが、 途中で何度も「やめ時」はあったはず。
時代の価値観が変わる、旅のスタイルが変わる、派手な温泉地が脚光を浴びるなど、さまざまな時代を経て、それでも、蔦屋旅館は生き残りました。
戦国武将が刀傷を癒やしたという伝承も残るこの湯。
派手な武勇伝はありませんが、 静かに効いて、確実に回復させる。
流行らせるより、湯の実力を、きちんと見せ続ける。
それを400年以上も続けた宿、それが現在の箱根つたや旅館です。
1904-1923 箱根底倉温泉 蔦屋旅館 /当時の絵葉書より
箱根の魅力
箱根は、長い火山活動によって生まれた温泉の塊。
地面の下ではずっと地球が働き続け、その成果が、湯として表に出てきています。
江戸時代、箱根で知られていた温泉は箱根七湯。
湯本、塔之沢、堂ヶ島、宮ノ下、木賀、芦之湯、そして底倉。 選ばれし七つの湯が、箱根の看板でした。
底倉全図
底倉温泉の湯宿として蔦屋(つたや)、萬屋、梅屋、仙石屋。
現在もなお残っているのはつたやのみ。
。
箱根七湯を楽しむための当時のガイドブック
「七湯栞 10巻」弄花 纂緝ほか 文化8(1811)
出典=国立国会図書館デジタルコレクション
ところが時代は進み、掘っても掘っても、湯が出る。
結果どうなったかというと、
現在、箱根で確認されている温泉は30以上。 7どころではありません。 完全に増殖しています。
江戸の旅人が湯治のために訪れた箱根。
令和では、国内外から人が集まる日本を代表する温泉街となりました。
療養の地から、観光・文化・癒やしの総合地帯へと進化しています。
平左衛門さんの創業当時、箱根がここまで大きくなるなんて、想像していなかったでしょう。
なので改めて、もう一度。ありがとう、平左衛門さん。
この物語、まだちゃんと続いています。
令和の人間、想像以上に疲れてます。
11月26日 いい風呂の日。
この日が、箱根つたや旅館の開業日。……これはもう、偶然という名の必然でしょう。
令和の私たちは、忙しすぎます。 休む予定を立てるために疲れ、癒やされる前に次の通知が鳴ります。
そんな現代に、箱根つたや旅館が提案する旅は、 何もしないために泊まるという選択。
観光地を制覇しなくていい。
チェックイン後、予定を入れなくていい。
湯に入って、ぼーっとして、また湯に入る。
江戸時代の人がやっていた「湯治」は、 実は一番未来的な休み方なのかもしれません。
平左衛門さん、あなたがつくったこの宿は、 令和でも、ちゃんと人を元の状態に戻しています。
ひっそりと、確実に、 今日も底倉で。
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