2025.01.21

「現代の蔵人」
再生する老舗酒蔵が挑む働き方改革   

日本の「伝統的な酒作り」がユネスコの世界無形文化遺産に登録されることになりました。老舗の酒蔵を引継ぎ、まさに伝統的な酒造りをしている吉川醸造では、伝統と現代の間をとってユニークな働き方改革をしているとか。吉川醸造代表(第七代蔵元)合頭義理に話を聞いてみました。

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再生する老舗酒蔵が挑む働き方改革   
Summary
  1. 蔵人序列 vs, 多様化・国際化
  2. 越後杜氏 vs. 夏はサーファーの蔵人
  3. 吉川醸造について

蔵人序列 vs, 多様化・国際化

伝統的な日本酒造りは、杜氏(とうじ)を頂点として蔵人(くらびと:酒蔵で働く人間の総称)の明確な序列と徹底的な分業制のもとで行われてきました。

蔵人の序列と分業体制

 

さらに江戸時代以降は、女性が酒造りに携わることもタブーとされてきました。しかし働き方の多様化・国際化が叫ばれる現在、老舗の酒蔵と言えど従来とは異なった働き方を推進しなければなりません。

 

吉川醸造は少人数の酒蔵ですが、外国人や女性を積極的に受け入れています。(写真1)のインド人、イタリア人の蔵人・研修生は二人とも、将来本国で日本酒の蔵を建設するビジョンを持っています。

蔵人のワスと研修生のグイド

 

2国はいずれも米の生産国ですが、心白の多い一般的な酒米はほとんど採れません。しかし、彼らは吉川醸造の取り組んでいる「硬水で低精白(あまり米を削らない)」なお酒を雑味なく造る技術を応用することで、世界中どこでも、どんなお米でも美味しい日本酒が造れるのではないかと考えています。

 

日本酒は「並行複発酵」という、他に例のない複雑な醸造プロセスを経て出来上がります。採算性を考えると、序列を設けた分業制を敷くことが圧倒的に合理的です。現に、吉川醸造の水野杜氏は入社以来6年以上「麴師(麹屋)」で、麹造り以外の作業はほとんどしていませんでした。

 

再起を図る新生吉川醸造では、国や神奈川県の補助金制度を活用させていただきながら、数値管理できるユニバーサルな設備の導入を進めてきました。酒造りの体制を見直すことで、杜氏が指導をしながらも蔵人たちが自主性をもって「自分のお酒造り」に打ち込めるようにしたかったのです。

効率化という価値基準にとらわれずに、蔵人たちが酒造りの全工程を短期間で習得し、世界中に日本酒造りを伝えていくという「夢」。

蔵人たちと一緒に蔵元の私も見たいと考えています。

越後杜氏 vs. 夏はサーファーの蔵人

もう一人、私が「現代の蔵人」と呼んでいる若者がいます。

 

ユウト(写真2,3)は蔵に来て今年で二年目、実家が湘南でスタイリッシュな海の家を経営しています。夏は海の家を運営し、冬は酒蔵に住み込んで、朝から晩まで酒造りに打ち込んでいるのです。

蔵人のユウト

 

 

サーファーのユウト

 

これは酒造りの世界で有名な「越後杜氏」の伝統を思わせます。江戸時代以降、春から秋は農作業、冬は雪が深く農作業ができない新潟の農家の人々が、全国の酒蔵から乞われて出稼ぎに渡り歩いたのが杜氏集団の発祥です。吉川醸造もこの越後杜氏の流れをくむ蔵で、最盛期の酒造りシーズンには17人もの蔵人が越後から来て寝泊まりして共同作業を行っていました。

 

ユウトは熱心に仕事をしますが、休日には実家から乗って来たバイクでサーフィンやスケートボードに出かけます。肉体への負荷の高い労働も飄々とこなすところがいかにも現代風です。吉川醸造のSNSに彼の写真を撮って載せると、「モデルさんですか?」とコメントされるのが愉快です。こうしたスマートでカッコイイ現代的な蔵人の存在を表現していくことが、国内では右肩下がりを続ける日本酒(国酒)の世界に光を当て、それをサポートする一助となると信じています。

 

吉川醸造について

吉川醸造株式会社は大正元年(1912年)創業、神奈川県の丹沢大山(古くは雨降山と呼ばれました)の麓にある日本酒蔵です。

日本酒の需要減やコロナ禍により廃業の危機を迎えましたが2020年、精米店を祖とするシマダグループの一員となり、新たな体制のもとで再出発を図りました。

2021年、新銘柄「雨降///あふり」を発表。お米を削らない低精白のお酒、低アルコールのお酒、花酵母や古代米を使ったお酒など、既存の日本酒の枠にとらわれないお酒造りで話題になりました。

 

オンラインショップはこちらのリンクよりご覧ください。

 

 

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