2024.04.09

能登半島地震
被災地で見たもの、考えたこと
これからのこと。

介護事業を運営するシマダリビングパートナーズは、能登半島地震の発生に伴い石川県金沢市稚日々野町において高齢者介助業務等への派遣を行いました。参加した職員のひとり、2023 年に新卒で入社した甲斐一成さんにインタビュー。

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被災地で見たもの、考えたこと
これからのこと。
Summary
  1. 考える時間をください
  2. 現地で見たもの、考えたこと
  3. 受け取る側から受け渡す側へ

考える時間をください

2月初旬ごろでしょうか。

いつものように事務所で作業していると、電話を終えた施設長が

「甲斐さん、能登行かない?」と言うのでした。

 

2024年1月1日、震度7を観測した能登半島地震。

その日は出勤で、施設のテレビに映る光景を見た私は東日本大震災のことを思い出していました。当時は小学5年生。大変なことが起きているという認識はあったものの、何もすることが出来ず、どこか遠くの世界での出来事のように感じていました。

 

社会人1年目になった今は1つ1つをこなすのに精一杯な日々。介護士として自分が向いているのか、正直に言うと分かりません。そんな自分に声が掛かるとは、むしろ意外でした。経験も知識も少ないのに被災地に行って迷惑にならないか、役に立てるのだろうか。あまりに急な誘いだったので決断できず、少し時間をいただくことにしました。

 

――――

過去にも自分を見つめなおす時間を作ろうと1年間休学していたことがあります。自分が将来何になりたいのか曖昧のまま過ごした大学時代。公認会計士を志したものの夢半ばで挫折し、エージェントの方と相談しながら就職活動を進めてきました。自分の根底にあったのは「人の役に立てる仕事がしたい」という想い。長年祖父母と暮らしていたこともあり、介護の道は身近に思えました。悩み悩んで行き着いた自分の経験は、外の世界でも通用するのだろうか。

 

しばらく考えた後、施設長に「行きます」と申し出ました。

現地で見たもの、考えたこと

情報が少ないまま、私は現地に赴きました。シマダリビングパートナーズからは 4 人の介護士を派遣し、2人ずつで日勤と夜勤とで分かれることになりました。いしかわ総合スポーツセンターという体育館で活動は始まりました。

避難所は 2 人 1 部屋のブースに分けられていました。部屋と言っても、入り口はカーテン。天井もなく、中には段ボールのベッドと小さな机しかありません。

 

主な活動内容は避難されている高齢者の排泄や入浴のお手伝い、食事の準備、見守り。内容としては普段施設でやっていることと変わらないのですが、まだまだ充実しているとは言えない環境や道具で、面識のない方々の介護をすることはかなり戸惑いました。また自分よりもはるかに介護経験のある方々と、「初めまして」で連携をとらなくてはいけないことはプレッシャーでもありました。

 

食事はほとんどが電子レンジで温めたもので、レパートリーも十分ではありません。3食ついているとはいえ「最低限のものしかない」状況を目の当たりにし、つくづく考えさせられました。旬な食材を使った温かい料理、好物が食べたい。でもたまに苦手なものも出てきたり。そんな日々の食事はなんて豊かだったのだろう。

受け取る側から受け渡す側へ

たった数日間しかいない私にもよそ者扱いせず、「大変じゃないか?」「遠くからありがとう」など気を配ってくださる現地の皆さま。地元の話題になったときは「復興が進んだら、ぜひまたここへ来て欲しい。そして名物を食べていってもらいたい」と誇らしげに紹介していただきました。ご自身が被災しているにも関わらず、見ず知らずの人に対して私はここまで言えるだろうか。能登の方々の優しさをひしひし肌で感じた時間でした。

まだまだ被災地は復興が進んでいないと聞きます。被災者の方はもちろん、現地で活動しているボランティアの方々も今もなお復興にむけて、これ以上ないほど頑張っています。社会人2年目になってもまだまだ悩みは尽きません。でも、少し自信がついたような気もしています。

数年後、後輩に教える立場になった時には現場を仕切ることもあったりするのでしょう。介護士として、そして人間として、人の役に立てるように。あの時教えてもらったぶり大根、なすそうめんを一緒に食べられる日を願って。

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