2022.11.18

銀座の街角、世田谷の朝

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社会人になった途端にコロナ禍に突入し、ますます出不精に磨きがかかる私にとって、運動をしに出掛けるのはそれなりの決心が必要だ。体を動かすのは好きな方だし、ジムに行ったら行ったで身も心もスッキリし、やっぱり来てよかったと心から思えるのに、家を出るまではどうも腰が重い。

 

よし、今日こそは時間がある。最近食べすぎている気もするし、ジムのプールで少し泳いでこよう。

 

そう決めてから、気づけばとうに1時間経っている。気分転換に甘いものでもつまもうかと冷蔵庫を開け、目ぼしいものもないなと冷蔵庫を閉め、それでもやっぱりなにかないかなぁと、のそのそ開けに行くのはこれで本日四度目である。

 

 

それに比べて、高齢者の体操に対する熱心さと言ったら、全く恐れ入りますと言いたくなる。

食後、ゴロンと横になって気持ちよさそうにうたた寝しているご入居者に「あと十分くらいしたら、食堂で体操します。是非いらしてくださいね」と声をかけると、「あら、そう?じゃ行こうか」と言いながらシャッキリと起き上がるのだ。そのご老体は、若さ溢れる(はずの)休日の私よりはるかに身軽で清々しいのである。

 

 

一日の中でメインの活動である午後のレクリエーションとは違って、午前の体操はその場にいる人に声をかけ、共用部の端に集まって体操でもしましょう、という気楽な集いだ。テレビを見て寛いでいても「ちょっと体操しませんか」と言うと「ハイハイ、やりましょ」と手を止めてくださる方の多いこと。身体機能や認知機能のために体操が難しくなった方も、ぼんやりこちらを見ていてなんとなく参加した気分になれる。

 

その日は新入社員のNちゃんが午前の体操を取り仕切っていた。秋晴れの気持ちの良い日。椅子と、車椅子とが交互に並んで、10人くらいがNちゃんをぐるっと取り囲む。

一通り体をほぐしたあと、何か歌おうかということになった。10月だから『もみじ』と『小さい秋見つけた』を歌って、それから次の歌がなかなか出てこなかった。

 

 

秋の歌ねぇ、ほかに何があったかしら、と少し間があって、最近入居されたばかりで緊張気味のWさんが表情ひとつ変えずに言った。

「銀座カンカン娘がいいです」

「銀座カンカン娘?」

「歌いたいわ、秋の歌じゃないんだけど」

私もNちゃんもその歌を知らなかった。でも、その場にいた皆様は懐かしがって

「あぁ、昔相当流行ったわよ」と言う。

 

You Tubeで検索すると陽気なビックバンドの前奏が流れ出した。

歌は俳優・高峰秀子。モノクロの映像に、スイングジャズ調で可愛らしい歌。

 

 

あの子可愛いや カンカン娘
赤いブラウス サンダル履いて
誰を待つやら 銀座の街角
時計見ながら そわそわニヤニヤ
これが銀座の カンカン娘
これが銀座の カンカン娘

 

 

歌詞の“そわそわニヤニヤ”のところで

固い表情を崩さなかったWさんがようやくほほえんだのを見た。

 

 

ご入居者から教えていただき昭和の俳優や歌手は随分と詳しくなったつもりだったが、高峰秀子は初めて聞いた。調べると子役からの大スターで、もうすぐ生誕100周年。さらに今月エッセイ集が発刊されたばかり。なんだか偶然に思って、帰り道に本屋に寄った。

 

 

ご主人との初デートで銀座のレストランを訪れたエピソードではこんなことを書かれている。

 

この、磯の香りがするような、私から見ればまだ少年のような彼と、手アカがつき、コケの生え始めたカメのような私が、とうてい釣り合うはずは無い。   ~高峰秀子 斉藤明美『高峰秀子 ベスト・エッセイ』ちくま文庫、2022年~

モノクロの世界に生きる、赤いブラウスを着た可憐な銀座カンカン娘が、私生活での自分はコケの生え始めたカメだと綴るおかしさ。華々しい芸能の仕事の裏で、生活者としての筆跡は意外にも無骨で、楽しく読んだ。それにしても昔の銀座の華やかなこと!

 

 

駅チカの百貨店も綺麗で便利で素敵なんだけど、銀座の洗練しきったきらびやかさったら他にはない。

と言っても、私が銀ブラで買うものなんて、せいぜい木村屋のあんパンか、伊東屋で見かけた可愛いポストカードくらいのささやかなものなのだけれど、でも歩いて見て回るだけで楽しいし、ときめく。

銀座には、まず空と街路樹がある。マロニエや柳の。

それから路面店の大きなショーウィンドウに百花繚乱の如きプレタポルテ、うやうやしいドアマン。

表参道と違うのは、ジャケットを着た老夫婦が街を闊歩しているところ、手書きの値札の店が残っているところ、一つひとつに名の与えられた通り。日本式の洋食屋さんには清潔なテーブルクロスがひかれ、窓から差し込む光が反射する。そこにカンカン娘の残り香をふと感じるような気がするのだ。

 

 

「カンカン娘になりたいです。」

歌い終えたあと、Wさんは疾患のために動かなくなった左手をさすりながらつぶやいて、ふふと笑った。

90年近く生きてきたその手に、その月日の長さと苦労と深みの皺があって、だからこそ大ぶりのジュエリーが、なんていうこともなく、しっくりと馴染むのだ。

 

 

今日も健気に体操にいそしむ尾山台のカンカン娘たち。

新入社員のNちゃんに合わせて一生懸命に深呼吸する皆様を遠巻きに見て、圧倒的に年上の方々に失礼だとは思いながら、なんだか可愛らしいな、と思う。秋の光が照らす明るいリビングで、きっと、これはかけがえのない時間。

 

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