入社して初めてわかること
30年程前、大学4年の春。僕は大量のハガキを書いていた。
別にラジオにハガキ職人として投稿するわけではない。当時の就職活動は本屋にある就職雑誌を購入するところから始まる。それは通販のカタログのように分厚くハガキがセットされていた。
「ハガキを企業に送って資料請求をし、応募書類を取り寄せてエントリーする。」
というのが一般的な姿。
学校では「お前何枚ハガキ書いた?」が日常の挨拶みたいになっていた。
まだ携帯電話も普及しておらず、自身の連絡先を実家の電話番号にしていた。
すると女子高生の妹がその電話を使って友達と長話をしており、
企業からの連絡を心待ちにしていた僕とは喧嘩が絶えなかった。
もちろんマイナビやビズリーチのような就職サイトは存在しない。
今の新卒が「エージェントに紹介してもらって」などという話を聞くと
“エージェント!!? お前メジャーリーガーかよ!”と心の中で突っ込む。
紆余曲折はあったが翌年の春、僕は無事誰もが知っている某有名企業に入社した。
ところがその会社は結構なブラック企業だった。
・自己啓発という名のサービス残業・ボーナスが現物支給
・上司からのパワハラ・盆と正月も出勤・創業者が現場にきたら大騒ぎ
・全体朝礼で社歌熱唱
会社なんてものは入ってみないとわからない。
僕は心と身体のバランスを崩しその会社を退職した。
「社畜」「ブラック企業」という言葉もそんなにメジャーではなかった時代。
正直なところ社会人としてそれが当然だと思っていた。
今だとネットで「ブラック企業」と検索すると一覧がでてくる。
便利な時代になったものだとつくづく感じる。
嫌だったら行かなければいい
好きだったら行けばいい
飲食店を探す時、どのように探すだろうか。
大半の人は「食べログ」のようなサイト経由で探す事が多いと思う。
-お肉が美味しかったです-
-家族で行くにはお値段も手ごろで丁度よいです-
このように好意的な文言や星が多いと安心をしてそのお店に行くことができる。
便利な時代になったものだとつくづく感じる。
僕の自宅近くの小料理屋さんの話だ。
店主と(おそらく)奥さんの二人だけでこじんまりしているが、酒も食事も味わいがありとにかく美味い。僕が一人で飲むのを好んでいるの知ってか知らずかカウンターにいる時、二人とも何も声をかけてこない。古ぼけたラジオからは昔ながらの歌謡曲が流れている。たまに昭和にタイムスリップしたような錯覚さえする。
ある日何の気なしにネットサイトでその店を検索してみた。
すると。
-店主に愛想がない-
-店が古臭い-
-味つけがイマイチ-
なんという事だ。愛する店の評価があまりよいものではなかった。
確かにレビューの言う通りだ。「店主に愛想がない」「古臭い」
味付けは少ししょっぱいと思う。ただそれも好みの問題だ。
なぜ、このようなレビューするのだろうか。
嫌いだったら行かなければいい。好きだったら行けばいい。
感じ方などは人それぞれだ。
「いらっしゃいませようこそ!」
などと大きな声で言われるような店には僕は行かないし、
薄い味付けの店にはきっと通わないだろう。
ただ、別にそれを悪いとも思わない。単に自分と合わないだけだ。
今は何か自分と合わないことがあると攻撃的になる。
砂漠の街で生きている僕達は心に棘を生やしているサボテンの心
身を守るために生やした棘のせいで大切な人達を遠ざけてしまう
(辻 仁成「サボテンの心」)
要は余裕がないのだろう。
僕に言わせれば「暇人」の一言だ。
ただ、それだけの事
最近では自分の足や直感で判断する事が少なくなった。
昔は本やCDなどをジャケ買いして、「思ってたのと違う」とがっかりしたり
町のラーメン屋に入ったらびっくりするくらいまずかったりと。
まあ、それはそれで楽しいものだった。
SNSの情報なんかに振り回されずに直接聞けばいい。
迷っている暇があれば、自分で動けばいい。
動けばきっと、「違和感」はあなただけのWANTへと成長する。
今のご時世就活サイトを見る中で「会社名」+「ブラック」「最悪」で検索するのは
当たり前だし、しょうがない部分もある。
シマダハウスだって、きっと検索されている。
中にいる人としては「ああ」と思う意見もある。
前職は「ブラック」だったが、果たして今は
「ブラック」なのか「ホワイト」なのか。
「最悪」なのか「最高」なのか。
そんなのは近所の小料理屋への感想と一緒で人それぞれだ。
僕はそんなに我慢強いわけでもないしストレス耐性に強いわけでもない。
それでも20年間この会社に勤めている。
与えられた仕事をこなすのに疲弊し、家族との関係に心を砕き、時に幸せを感じ、日々の生活を過ごしている。
(イラスト引用 くまねみさん からあげのるつぼさん)