孵化あるいは負荷
『シマダグループの総合冊子を作る』。それは部長の長年の夢だった。彼女が温めてきた構想を実現すべく、私は編集担当に任命された。個人的に特別な思い入れがある訳ではない。業務として指示を受けたからやる。そんな感じの低速発進である。
どうして私が担当することになったのか?長年アルバイトスタッフとしてアシスタント業務に徹してきた私は、社員になってからも、さほど変わらない働き方をしていた。それを見かねた部長が圧をかけてきたのである。
部長が大切に温めてきた夢の卵が孵化し、私の負荷となった。
生みの苦しみ
~ 晴天 ~
シマダグループにはクリエイティブチームが存在し、インハウスでデザインおよび制作を行っている。とは言え、プロジェクトの時期や内容によっては、マンパワーもしくは技術的に難しい場合もあり、社外のデザイン事務所や制作会社の協力を仰ぎながら進めることもある。
さて、今回はどうするのか?
「今まで付き合いの無い会社とやってみたいよね!」
変化を好み停滞を畏れる、部長らしい発言である。もちろん、探すのは私の役目である。
やみくもにネットで制作会社を検索していた時、内線が鳴った。
「なんか営業電話みたいなんですけど、つないでいいですか?」
適当に断って早々に電話を切るつもりだった。がしかし、これがまさかの超タイムリーな内容だったのである。
「ご希望の条件に合わせて発注先を無料で紹介するサービスを提供しているのですが、特にデザイン系に強く・・・」
渡りに船である。早速、紹介を依頼し、条件にマッチする3社と会うことになった。
3社3様。それぞれデザイン性や強みが異なり、クリエイターの方々は皆、個性的な魅力にあふれていた。自分とは異なる感性を持つ人との出会いは、とても刺激的である。
とんとん拍子に話は進み、マッチングした1社とともに、創刊に向けて動き出した。
~ 霹靂 ~
頼りになる協力会社を得て、私はすっかり安心しきっていた。先方は有能多才な5名のチームである。数回のミーティングを経て、タイトル案、企画構成、デザインフレームなどが固まっていく。後は彼らの舵取りに任せ、必要な画像や情報を提供しさえすれば何となく形になるだろうと気楽に考えていた。そんな時、突如、契約解除の申し入れがあったのだ。青天の霹靂とはまさにこのことである。
何でも、某印刷会社の子会社となる事が決まり、現状の業務継続が難しいと言う。
とても良い雰囲気のチームだったので、残念で仕方がない。プロジェクトの中断もさることながら、彼らと会えなくなるのがとても寂しかった。
メタモルフォーゼ
どうしよう。振り出しに戻ってしまった。胃を押さえながら数日を無駄に過ごしていた時、思わぬ所から助け舟が!
作家・ミュージシャン・映画監督と幅広く活躍されている辻仁成氏。実は彼こそが「こめびと」の名付け親であり、この状況を心配して、アートディレクターの新妻氏を紹介してくれた“救いの神”でもある。更に、巻頭に書き下ろしエッセイを寄稿くださると言う。「神様、仏様、辻様」なのである。
ピンチはチャンス!ここから心機一転、こめびとプロジェクトの再始動だ。とは言え先方はお一人。大枠のデザインはお願いするとしても、構成や原稿作成は我々の担当である。ちなみに我々とは、部長と私の2人である。ここに来てようやく、他人事から自分事へと変わってきた。
そもそも何故、部長はグループの総合冊子を作りたかったのか?
シマダグループの原点は「島田精米店」。「お米で皆を笑顔にしたい」との想いで始めた商いは、時代の変遷と共にメタモルフォーゼ(変態)を遂げながら、飲食・ホテル・介護など様々な業態へと発展してきた。そんな中、それぞれの事業や施設を紹介する単体のリーフレットは存在しても、グループ全体を知ってもらうツールが無い事に、もどかしさを感じはじめたそうである。単に事業内容を紹介する営業用としてでは無く、働く人の想いや取り組みなどにフォーカスし、シマダグループが提供する様々な「いい時間(とき)」を伝えていける物を作りたい!そんな情熱が噴火して、今回のプロジェクトがスタートしたのだ。
そして、私たちシマダグループの「お米のように日本人にとってなくてはならない存在であり続けたい。沢山の人にいい時間(とき)を提供したい。」という熱い想いに共感してくださった辻仁成氏によって、「こめびと」と命名されたのである。
ここからは怒涛の日々。幾度もデザインを見直し、推敲を重ね、印刷会社への入稿リミット直前までデータの修正を行った。
そして2023年8月、ついに「こめびと」が創刊したのである。
育ての喜び
「目的意識を持て」とか「手段が目的に変わってはいけない」など、一般的には無目的に動く事に否定的な意見が多い。ごもっともではあるが、私のような体温低めの人間は、兎に角まずは手を動かし、走り出す他無い。誰かの夢に乗っかりながら、息も絶え絶えに走り続けるその過程で、様々な人の想いに共感し、感銘を受け、達成する喜びを感じ、ようやく目的の何たるかを知るのである。
ゴールでは無くスタートではあるけれど、何はともあれ、創刊できて本当に良かった。
そして今、新たに3人の社内メンバーが加わり、新生こめびと編集部として、次号発行に向けて作業を進めている。心的負担もかなり軽減したので、今回は酸欠にならずに走れそうだ。
シマダグループで働く多くの仲間の想いを載せた「こめびと」を、これからも編集部一丸となって大切に育んでいこうと思う。