好きでもないゴルフをなぜするのか?
シマダグループではコロナ禍を経て、4年ぶりに海外研修が再開された。
不動産や、建築等をみて、シマダグループ内の他事業部とも交流を図り、とにかく刺激を受けるというのが一つの命題である。
シマダグループの社員研修旅行についてはコチラ
『海外のホテルで新入社員と社長が同室に?(ドキドキ)
シマダグループのちょっと変わった社員研修旅行』
研修スケジュールの自由行動選択肢に「ゴルフ」があった。最終日に社内コンペが開催されることもあり、わざわざ自由行動に選択する者は少ない。
そもそも、刺激を受けることが命題の一つである研修で、海外にも関わらず、日本でも出来るゴルフをやるなど、なかなかもって理解しがたい。私も、この貴重な機会、一番刺激を受けられて、非日常的な行動をしたいと考えた。
そして、私は「タイ」まで来て、この自由行動に、好きでもない「ゴルフ」を選択した。
人は変わるものだと思う。
家庭をもち、ゴルフがどんどん縁遠くなる私にとって、わざわざやるこのゴルフこそが、なによりも非日常で刺激的なのだ。
今年の父の日、6歳になる娘が手紙をくれた。
「きょうは とくべつに じゆうじかんをあげます」という主旨の記載があった。
スーパー銭湯にでも行きたい気分だったが、約1年ぶりにゴルフの打ちっぱなしに行った。
年に1度与えられる自由時間ぐらいにしかゴルフ練習に行けないくらい、今の私にとってはゴルフが非日常なのだ。
捨てる決断
昨年の夏、とある税理士法人様のコンペにお招きいただいた。社歴が長く、名ばかりの役職もある私は、僭越ながら主賓扱いだった。
入社と同時に始まったゴルフ歴はもう17年。
未だに100を切ることができない。
そのコンペのスコアは114だった・・・。
その時の精一杯の結果だったが、コンペ全体のレベルや自身の扱いからすると、穴があったらなんとやらという状況だった。
何とか体裁を取り繕うことは出来ないか?それから試行錯誤を重ねた。確率や修練度を考えると、扱うツール(クラブ)は少ない方がいいはずだ。
ゴルフは最大14本のクラブが持てるそうだが、今、私のゴルフバックには半分の7本しか入っていない。ドライバーは真っ先に捨てた。俗にマンぶりと言われる、力いっぱいスウィングするようなことはない。バスケットボールのレイアップシュートのような「置いてくる」イメージでショットをしている。
とにかく簡単と言われるユーティリティやチッパーといったクラブを買った。そのうちチッパーは使いこなせず、お蔵入りになった。
グリーン周りではどんなに距離が残っていてもアプローチは持たない。パター一択だ。
一緒にラウンドする人からは、
「今からこんな落ち着いたゴルフでいいのか?」
「そんな気の抜けたゴルフをして楽しいの?」
等、本気とも、揶揄ともとれる声がするが、まったく気にならない。むしろティーショットで威風堂々とユーティリティを振る自分を誇らしく思う。そして、こんな風に、色々考えて試行錯誤するのは、なかなか楽しい。
理想のゴルファー
私にはゴルフにおいて、ベンチマークとなる人がいる。
経理部のM専務だ。
名を挙げておいて大変失礼だが、M専務は、ものすごくゴルフがうまいわけではない。ただ、とにかくスマートなのだ。
経理を取り仕切る会社の番頭でありながら、尚且つ、一級建築士でもある経歴から想像に難くないが、プレーは決して荒れない。
特にゴルフ熱が高い印象もなく、実際たいして高くもないのだと想像する。それでも、取引先の金融機関様とラウンドされる機会も多分にある。毎度、淡々と、とにかく淡々とラウンドされている。
私は、そうなりたい。
80台で回りたいなど全く思わない。
ドラコンを取りたいなど微塵も思わない。
M専務のように、淡々と、毎度荒れることなく、ラウンド出来るようになりたい。
それが私にとって最もかっこいいゴルファーなのだ。
好きでもないのに、前のめり
シマダグループで一番歴史の長いヨコイト部活動であるゴルフ部では、今年に入って初心者向けの新しい企画をどんどん生み出している。
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『追い越し禁止』
費用補助や、組み合わせの配慮等・・・。これにともなって新しい人たちが、どんどん私よりうまくなっていくのだろう。
どうでもいいが、いい気はしない。
実際、所属する部署内では、この数年で、私が一番下手になったようだ。
どうでもいいが、いい気はしない。
ただ、ゴルフに限らず、
好きだから、やる。
嫌いだから、やらない。
というのは、あまりに短絡的だと思う。
たいして好きでもなく、さらに、誰からも求められていない。
天邪鬼な私は、そんなアウェーが心底好きだ。
だから私はこれからも、たいして好きでもないのに、誰よりも前のめりにシマダグループのヨコイトゴルフ部に関わっていきたい。
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