運命の扉
僕がシマダグループと出会ったのは、大学時代にさかのぼる。
当時、シマダハウス住宅事業グループ(現:シマダアセットパートナーズ/建築事業部)では、工学院大学の学生が代々後輩を紹介するのが伝統となっており、常に2~3名の学生スタッフが模型や設計図書の製作などの補助的作業を担っていた。私も例に漏れず先輩から紹介を受け、授業の後や休日に、アルバイトというの名の建築の勉強に励んでいた。そんなある日、「卒業後もシマダで働かないか」との誘いを受けた。
2007年4月と言えば、リーマンショック前の不動産プチバブル期。シマダハウスでも、とにかく人手が必要だったのだ。
にも拘わらずだ!
いざ社長へ面接の申し入れに行くと、「他社の内定書の2,3枚持ってきて『私を採らなくて良いのですか』ぐらい言ってみろ」と突っ返された。
それまで就職活動にさほど力を入れていなかった僕も、さすがに悔しく、死に物狂いで面接を受けまくり、なんとか2社の内定を勝ち取った。
かくして無事(?)、シマダグループの社員として迎え入れてもらえることになった。
まさかの異動
入社から約1年間はアルバイト時代同様、住宅事業グループで建築業務に携わり、その後、資産運用事業部(現:賃貸管理事業部)で、建築の知識を活かしながらリフォーム等を担当した。
そして、忘れもしない2009年1月4日の仕事はじめの日。業務後、役員から食事に誘われた僕は、まさかの打診を受けたのだ。
「石垣島へ行ってみないか?」
いしがきじまぁ~!?
実はその頃、石垣島でホテルを開業すべく着々と準備が進められていた。しかし、支配人になる予定だった社員が急遽退職することになり、3月のオープンを目前にして、ポスト不在の状況に陥ったのだ。
独身の若手でフットワークが軽く、直ぐにでも移住できそうな人材を検討した結果、私以外に適任者がおらず、新年早々に異動の話を持ちかけられた訳である。
「少し時間あげるから、考えてみて」と言う役員に、僕はその場で「行きます」と答えた。
ちょうど大学から付き合っていた彼女と別れたところで、それほど東京に未練が無かった。・・・と言うのもあるが、ホテル事業はシマダグループにとって初の試みだったので「自分が先駆者になれる!」との野心もあった。そして何より、新しい挑戦にワクワクしたのだ。
新たな出会い
石垣島での新生活は、まさに手探り状態。仕事は全て一から築き上げていかねばならず、情報収集やスタッフ集めなど、あらゆる業務に時間がかかり、苦労の連続だった。
更に私を困らせたのは、独特のカルチャー(テーゲー文化)である。飲み会はもとより、仕事でも1時間の遅刻はあたり前なのだ。
とは言え意外と私の性格には合っていたようで(いい加減!?)、地元の人々の大らかさと温かさに触れるうち、だんだん居心地が良くなり、もはや永住したいとさえ思うようになっていた。
そんな中、仕事関係の懇親会で、当時別のホテルに勤めていた妻と出会った。年が同じで、彼女も20歳の時に石垣に移住してきた経緯もあり、自然と距離が縮まった。
僕が支配人を務める「石垣島ホテル ククル」は今年15周年を迎えた。「スカイククル」「ちゅらククル」も展開し、たくさんのお客様に“いい時間(とき)”を提供している。
そして我が家には3人の息子が生まれ、美しい海に囲まれたこの島で、テーゲー文化に育まれながら、のびのびと成長している。
未来予想図
生まれ故郷の新潟で19年、東京で6年、そして石垣へ移って15年。もはやこの島は第二の故郷だ。
実はこの秋、島内で新たなホテルの運営がはじまる。大変ではあるが、久しぶりにワクワクしている。また、将来的には介護事業にもチャレンジしたい。気持ちの上では石垣永住だが、面白い挑戦の機会があれば、国内外を問わず飛び込んでいきたいと思う。
「チャンスの神様は前髪しかない」とは誰の言葉だったか?
これからもチャンスがあれば、石垣島への移住を決めたあの時のように、フットワーク軽く挑戦したい。そうすればきっと、笑顔で振り返れる人生になるだろう。
未来予想図は、思ったとおりにかなえられていくはずだ。