2023.04.03

ホテル社員初の育休取得からの現場復職
~人生には助走も必要~

シマダグループ在籍10年の広報担当。異動前はホテル勤務だった私の入社~産休育休~復職~現在。「私がホテルで働く女性の道筋をつくっていく。」と決めた理由。  

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~人生には助走も必要~
Summary
  1. 華やかな世界から、、、
  2. なんか違うのはルールがないから?大手企業との違いの壁
  3. 鬼の新人指導時代
  4. 私がホテルで働く女性の道筋を作っていく
  5. 人生はフルマラソンのようなもの

華やかな世界から、、、

シマダグループに入社する前は大手ラグジュアリーカーのショールームでセールスアシスタントとして働いていた。

 

けれど、20代のうちに学び直したい。と、フィジーとオーストラリアに留学のため退職。

 

その後、アメリカのフロリダ州オーランドにある“世界一の夢の国”と呼ばれるアミューズメントパークで働いた。

 

帰国したら、それまでに経験してきた「サービス+英語」を活かせる仕事をしたいと思っていた。そんな時に目にしたホテル&レジデンス六本木(H&R六本木)立ち上げの社員募集。

 

ホテルに興味があったわけではないけれど、H&R六本木のターゲットが外国人だったことに惹かれた。

 

ゼロからホテルを作り上げていくって楽しそう。期待いっぱいで応募し、帰国後晴れて入社が決まった。

 

しかしすぐに思ったのは、

「なんか違う。」

今まで私が見てきた、楽しくて華やかな世界とは明らかに違う。

 

なんか違うのはルールがないから?大手企業との違いの壁

最初はレストランに配属された。

しかし、

スタッフはみんな若く勢いがあって自由にやっている。自由すぎる。

 

研修はないんですか?と聞けば、全員から返ってくる言葉は

「ルールは必要ないから」

 

たぶん、シマダグループが掲げるメタモルフォーゼを都合よく解釈していたと思う。

 

そこで初めて気づいた。

今までの私は大企業の整った研修の中、何不自由なく学んできたんだと。

 

開業直後のH&R六本木は手探りだらけの状況。頑張っても心身ともに辛くなって、歩いているだけで涙が出てくることもあった。

 

もう限界かな。。。

そんな時、恩師となる元マネージャーに「ホテルの仕事を一緒にやろうよ」と声を掛けられた。

 

入社して4ヶ月、レストランからホテルに部署変更した。

 

鬼の新人指導時代

ホテルに配属後は得意分野である接客、英語を活かして指導役を担った。持っているスキルは惜しみなく後輩に伝えていった。

 

お客様の8割はインバウンドで、毎日英語を使う。着物を着て接客したりと好きなことも楽しめて、ホテルの仕事は私に合っていた!

 

フロント業務だけでなく、採用、SNS、接客指導など様々な仕事をしていたけれど、そのころの私は鬼のように怖かったらしい。

 

ある時、大学生のスタッフに言われたことがある。

「僕、寝坊しないようにスマホのアラームのメモに『愛さんに怒られる。』って書いてるんです。そうしたら、絶対に起きれるんです。」

 

ニコッ。

 

ニコッ。じゃないよ。って複雑だったけど、愛情があってこその指導というのは伝わっていたようで、当時一緒に働いていたスタッフたちとは7年以上たった今でも交流がある。

 

外国から来た子どもたちに折り紙を教えた

 

 

ホテルに配属になり5年以上経ったころ結婚し、妊娠をした。

本社には産休育休を取って復職している女性社員はたくさんいる。

しかし、当時シマダグループのホテルでは結婚、出産して働いている社員はいなかった。

なぜなら、24時間365日休みがないサービス業の現場で働く社員は、男性ばかりだったから。

 

あるクリスマスの日、私が日記に書いた文。

 

皆が楽しむときは働く。私の仕事はよい思い出づくりのお手伝い。

ホテルは毎日予想外のことが起こって、臨機応変な対応と瞬時の判断を迫られる。大変だけれど、それでも結局私は、サービス業が好き。

「仕事は好きでも続けていくのが難しい。」と女性が去ることが多いこの業界。

そんな女性が活躍し続けることができるよう、業界のあたりまえを変えていきたい。

 

妊娠5ヶ月の時だった。

そうだ。「私がホテルで働く女性の道筋を作っていけばいいんだ。」と、心に誓った。

 

 

1年で一番忙しいクリスマス~年末年始はみんなで乗り越える

 

私がホテルで働く女性の道筋を作っていく

復職したのは娘が1歳になったばかりの時。

 

あんなに大好きだった仕事なのに、子の成長を間近で見られることが楽しくて、戻るのをためらい、辞めようかとも思った。

でもふと思い出した。

「私がホテルで働く女性の道筋を作っていく。」

って思ったじゃない。

 

やるだけやってみて、それでも無理ならその時に辞めればいい。そんな思いだった。

 

 

フロントシフトからは外れ、主にバックオフィスを担当。育休明け初の社員だったから、柔軟に仕事を調整してもらえてありがたかった。

 

そのころ、「bar hotel箱根香山」「葉山うみのホテル」「箱根つたや旅館」と3つも新しいホテルがオープンし、やることは盛りだくさんだった。

 

けれど、片道1時間半の通勤、時短勤務、毎日大泣きして登園を嫌がる娘。

 

仕事と家事と育児とサービス業。想像以上にハード。

 

保育園からの急な呼び出しが何度もあった。

自分の意志だけで仕事ができないことを受け入れて、周りに頼ることも大切だと学んだ。

仲間には感謝しかない。

ホテルで参加した西麻布のお祭り 娘も一緒に

人生はフルマラソンのようなもの

私にはとても尊敬し、勝手に慕っている大先輩がいる。当時その女性は、とあるホテルの支配人だった。彼女がパネラーになって話す女性ホテリエ研修に参加した。

 

そこでの言葉が忘れられない。

 

人生はフルマラソンのようなもの。

子育てに重点を置いていても、助走を続けていればいつかまたフルで働きたくなったらすぐに走れる。

 

そうか。私、今は助走中なのかもしれない。

子育てしていても、仕事をあきらめない。

助走していたら、また全力で走れる日が来るはず。。

 

目の前のモヤが晴れた瞬間だった。

 

ホテルに復職して1年半が経った頃、現在の上司から話があった。

「シマダグループのことをもっと外に広めていきたいから、広報をつくりたい。一緒にやってほしい。」

予想外でびっくりしたけれど、ありがたい声掛けだった。

 

一方、正直迷いもあった。

ホテルが大好きなのに。ホテルの現場から本社の広報に異動?

 

でも、、現場にいなくても、ホテルの仕事はできるはず。

それこそ、ホテルで働く女性の道筋をつくる。ということになるのかもしれない。

とりあえず、やってみようか。

 

コロナ禍と同時に、ホテルから広報に。シマダグループ初のひとり広報としてスタートした。ホテルだけの広報ではなく、シマダグループ全体の広報になるから一から他事業の仕事のことを学び、新たな発見もたくさんあった。

 

ホテル&レジデンス六本木 10周年パーティーを広報としてサポートした

 

 

異動から3年。娘は5歳になった。

 

保育園で泣いていた娘は、今では絶対に保育園を休みたくないと言う。

そんな娘の夢は、自分のホテルをつくる事らしい。びっくりするくらい私の背中を見て育っている。

 

イベントの企画、SNS、プレスリリース、サービスの改善。現場だけがホテルの仕事ではなく、サポートできることがたくさんある。

大好きなホテルと、大好きなスタッフのみんなを、広報という視点から支えるために、今日も私は働く。

 

 

すでに助走期間は終わったのかも、、、と感じながら。

 

 

Written by
小林愛 Ai Kobayashi
ホテル事業部を経て広報。東京の下町育ちで幼いころから神輿に慣れ親しむ。 新卒で就職した大手企業を退職し、留学や就職などで海外生活を堪能後、シマダグループに入社。人と接する仕事が好き。1児の母。シマダグループが運営するホームページのいろんな場所にちらっとモデルとして映っている人。
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